受験の神様とは!?どうして菅原道真は受験の神様なの?
菅原道真は、学問の神様として親しまれています。
学問の神様と呼ばれるようになったのには、様々な言い伝えがあります。
ここでは、菅原道真が学問の神様と呼ばれる理由をみていきましょう(*´▽`*)
学問の神様って菅原道真なの?
菅原道真公は『学問の神様』すなわち『受験の神様』と呼ばれていますが、ではどうして受験の神様なのでしょう?
その事を知ってお参りをすれば、益々のご利益に通じるかもしれません。
菅原道真とは、平安時代前期に活躍した政治家で、小さい頃からかなり頭が良く、優れた学者という側面もあり異例の出世をします。
時の天皇の宇多天皇に重用され右大臣にまで上りつめるのですが、この出世に嫉妬をする人がいたんです。
いつの時代も、同じですね('_')
菅原道真が進めている改革によって、中下級貴族は今までの暮らしが維持できなくなる事を心配し、閣僚ナンバー1の藤原時平に相談しますが、この彼も菅原道真の躍進に危機感を感じていて、引きずり下ろす計画が着々進行します。
うーん…歴史は繰り返すという言葉が頭の中を駆け巡ってしまいます('_')
そしてこれが、宇多天皇から醍醐天皇に交代したタイミングで、この計画が実行され醍醐天皇に「菅原道真が天皇の座から引きずり下ろす計画を立てている」とウソを言い、これに醍醐天皇が激怒してしまい、菅原道真の弁明も聞く事をせずに、太宰府(現在の福岡県)に左遷してしまいます。
どこの世界にも…以下略
菅原道真が左遷された後に起こった事が学問の神様に繋がる?
彼の4人の子供も島流しに合い、疑いが晴れるを望み恩赦を待ち続けながら、2年後に太宰府で亡くなりました。
その後朝廷のある平安京では様々な異変が起こり、閣僚ナンバー1だった藤原時平は病死、醍醐天皇の息子も死亡します。
また、平安京に雷が落ちる事が続き、その他、道真への左遷に関わり重要ポストについていた閣僚らにたくさんの死傷者がで、菅原道真追放に関与した大藤原清貫(ふじわらきよつら)も落雷を直撃し即死します。
人々はこの不可思議な現象は、道真の呪いの様なものではないかと恐れて、『雷の髪』すなわち『天の神』として祀る様になりました。
菅原道真の天満宮=学問の神様が生まれる
朝廷は神社を建てて、道真の霊を鎮め『天満天神』の号を与え、子供4人の島流しをとき彼が亡くなってから20年後に改めて右大臣に任命します。
それから全天満天神の神社が全国各地にも建てられ、人々の信仰を集める様になって行きました。
この小さな頃から並外れたず学才によって異例の出世をした事と、雷の神、天神と同一視された事も重なり『学問の神様』として、菅原道真公は祀られる様になり、それにあやかろうと受験生やその家族などが、『受験の神様』としてお参りをしています。
この話を初めて知った時は、「そんなバカな…」と思ったりもしましたが、歴史上には様々な出来事があります。
菅原道真は、百人一首でも歌を詠んでる方ですよね。
菅原道真が祀られている天満宮にお参りして、受験シーズンを乗り越えていきましょう。
受験が終われば、新しい門出、楽しい生活が待ってますよ(*´▽`*)